ドライバーズシートに深く身を沈めたジョルジュ・ガシュナンは感極まっているように見えた。おそらく、ニュルブルクリンクやペスカーラといった伝説的なサーキットで戦ったかつての光景を長いボンネットの向こうに見ていたのかもしれない。あれから60年近くが経った今、彼自身のユニークなスポーツ・レーサーのコクピットに再び座り、その時間を味わっていた。彼はオーナーであるデイヴィド・コークを見上げ、微笑みながら指で自らの胸を叩いた。
二人の男がどのようにしてここで感動を分かち合っているかを説明するには、ジョルジュと兄のクロードが「CEGGA」を設立した1950年代末まで遡らなければならい。その名称は「Claude et Georges Gachnang Aigle」の頭文字をとったものだ。スイス人の兄弟はフロントエンジンのスポーツレーシングカーからミドエンジンのプロトタイプ、さらにはシングルシーターまで様々なレーシングカーを製作に乗り出す。そのうち何台かはマセラティ製エンジンを積み、他はフェラーリ・エンジンを搭載していた。
「もともとは」と、ジョルジュは当時を振り返る。「モーターサイクルのレ―スを考えていたんだ。だが、両親はいい顔をしなかった。それで結局自動車レースに方針を変えた。最初は古いMGで始めたが、あまりよい状態ではなく、すぐにACエース・ブリストルに変更した。その頃の目標はレースに出場するというよりも、単に車を製作して自分たちの思うように改造することだった」
「ヒルクライムに出場できるようにACブリストルを改良し、スパのレースにも出場した。さらにもう1台のACエース・ブリストルを見つけて、それでル・マン24時間レースに参加する計画をスタートさせた。空力特性を改善し、雨の夜間走行を快適にするためにルーフを装着したその車で、1960年のレースを完走した後、そのままスイスまで自走で帰ったんだ!」
CEGGAの次のプロジェクトは、ポンツーン・フェンダーを持つフェラーリ250テスタロッサをベースにしたものだった。シャシーナンバー0742のテスタロッサはペーター・モンテヴェルディが所有していた車だったが、1960年のフライブルクのレースでクラッシュし大破してしまっていた。「最初の計画ではエンジンとギアボックスだけを譲ってもらうはずだった。ところがバーゼルに向かった兄に、モンテヴェルディは『もしほしいのなら残りの部品もある。君が要らないというなら、廃棄するつもりだ』と告げた。そこでクロードは全部譲ってもらうことにしたんだ」
「リビルド作業を始めた時には、そのテスタロッサをどうするのか、はっきりとは決まっていなかった。ボディのリアが一番酷く破損していたが、私たちはいつも何か新しいことを試していたから、英国製のENVデフと独立式リアサスペンション、それにインボードディスクブレーキを装着することにした」フロントサスペンションについては、ロワーアームを延長してネガティブキャンバーを採用した。結果的に中央部だけフェラーリのままで、それ以外はCEGGA独自の仕様になった。
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April 24, 2020 at 03:46PM
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