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【父のレーシングカーと再会】シムカ1000ラリー2 息子が手掛けた修復 後編 - 試乗記 - http://www.autocar.jp/

もくじ

叶わなかった1976年シーズン
1994年に判明したシムカの所在
オリジナルに拘ったレストア
カラムロの町とともにあるシムカ

叶わなかった1976年シーズン

text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)

photo:Manuel Portugal(マニュエル・ポルトガル)

translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
シムカ・レーシングでのアップグレード作業と時期を重ねるように、父のジェロズニモの闘病生活が始まった。1976年、チューニングを受けたシムカ1000ラリー2が戻ってくるが、エストリル・サーキットでは見物するだけだったという。

「父は、ジョアン・ナバイスに運転を頼みました。彼はレース中、クラスをリードしましたが、ファイナルラップでエドガー・フォーテスに抜かれ、2番手に落ちました。エドガーは、チャンピオンシップを掛けて戦っていましたからね」

シムカ1000ラリー2(1973年−1978年)
シムカ1000ラリー2(1973年−1978年)

ラセルダが続ける。「父が亡くなったのは、25才という若さでした。祖父はレーシングカーを扱うディーラーへ、父のシムカを売却しました」

売られたシムカ1000ラリー2は、アントニオ・アダムが手に入れた。1977年、ペーニャで開かれたヒルクライムでは、別のドライバー、フォルテースへ貸し出された。そこで彼はクラス優勝を果たす。

1977年を通じて、シムカはヒルクライムやサーキットでのレースを戦った。オーナーのアダムは、1978年のエストリル500kmレースにも参戦するが、完走できなかったようだ。

その後は、ベテランドライバーのベロソ・アマラルがオーナーになった。ヒルマン・インプやクラン・クルセイダーなどでも活躍したレーサーだ。アマラルはさらに手を加え、1983年の世界ラリー選手権(WRC)の1戦、ラリー・ポルトガルへ参戦した。

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June 20, 2020 at 02:50PM
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