F1の歴史を語るうえで欠かせない“かつての名門”
フジテレビがF1全戦中継を始めた1987年を“日本のF1元年”とすれば、多くの日本人が最初に熱烈に応援したチームは、ロータスだったのではないだろうか。初の日本人フルタイムドライバーとして中嶋 悟がステアリングを握り、最強を誇ったホンダ・ターボを武器に世界に挑んだ、キャメルイエロー鮮やかな「ロータス99T」は、今もわれわれの脳裏にしっかりと焼き付いていることだろう。
ドライバーズタイトル獲得6回、コンストラクターズタイトルは7回を数えるチーム・ロータスは、誉れ高い名門だった。通算79勝、ポールポジション107回は、それぞれ歴代5位につける大記録として今も輝いている。しかし、中嶋のデビューからF1に入った日本人のファンにしても、ロータスは“かつての名門”という印象が強かったのではないだろうか。中嶋のチームメイトだったアイルトン・セナは1987年を最後にマクラーレンに移籍し、悲願のワールドチャンピオンとなったことは周知の通り。ホンダもたった2年の付き合いでロータスに別れを告げた。
ターボから自然吸気(NA)へと移行した1989年、ロータスは非力なジャッドV8で参戦。中嶋と元王者ネルソン・ピケは苦戦を強いられ、ベルギーGPではチーム史上初めて2台そろって予選落ちするなど低迷した。さらに1990年末でキャメルがスポンサーを降りると深刻な資金難に陥り、1994年シーズンを終えた時点でついに力尽き、37年間の歴史に幕を下ろした。
だが、こうした晩年の凋落(ちょうらく)ぶりを目の当たりにしていたとしても、「ロータスは名門」ということに読者諸氏から異論が出ることはないだろう。単に強かった、速かった、勝ちまくったということだけではない。ロータスとその創始者コーリン・チャップマンは、今日のF1やレーシングカーへと通ずる数々のイノベーションを巻き起こし、モータースポーツの技術向上に一役も二役も買ってきた。いまや自明となったあの技術やこの方法を、最初に採り入れたのがロータスだった、そんなエピソードは珍しくない。
今回は、F1におけるチーム・ロータスの足跡をたどりながら、あらためて名門と呼ばれるゆえんに迫ってみたい。なお本稿では、2010年代に突如名前だけ復活したロータスについては割愛させていただく。
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June 01, 2020 at 04:00AM
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